2021録
ここ数ヶ月「文章」を書いていない感じがしている。
Facebookの投稿や、Twitterのつぶやきや、企画書やワークショップのスライドなどに「文章らしきもの」は書いてはいる。
でも、冒頭にあげた文章といのは、わたしの場合もう少し「よし書くぞ」というスイッチとともに書く、自分の思考の整理であり、思いの発露であり、未来への方向確認のようなものなんだ。
そういう意味で「文章」を書いていない感じがしている。
年末年始とはそういう意味では、「文章」を書くにはもってこいの時期だ。
世の中の空氣が、そして自分の氣分が「文章」を書くモードに自然となっていく。
さて、毎年この時期に書いている「録」つまり今年の簡単な振り返りは、「文章」の中でもライトなものだが、また書き記しておこうと思う。
今年を総括的に言うと、私的今年の一文字は間違いなく『場』という字になる。
1月にはじめた「神さまの内省ダイアローグ」は週一で8回だけやろうと、はじめた試みではあったが結局50回以上開いて今にいたり、そしてまだ続けようとしている。
自己分析してみると、たとえば継続的に何かをやることはそれほど苦手ではないようなのだが、定例的・定期的つまり「毎週○曜日の○時」みたいのがダメだった。
しかし、やってみるとこれがまた、結構面白いことに氣づき、同時に言うほど縛られるような感覚にはならないものだということもわかった。
もう1つ大きかったのは、10月にはじめた「場づくり講座」だ。
かれこれ10年くらいは、場づくりというものをやってきた。その源動力は、場というものに感じていた可能性のすばらしさだ。
もっと具体的に言えば、自分がつくる場に参加してくれた人が、自分にとって大切なことに氣づいたり、昨日までとは違うことをやってみようと思ったり、自分にとって望ましいイメージの解像度が上がったり、ということが起き、それがきっかけで、望ましい変化が起こるのを何度も何度も目の当たりにする中で感じていたことだ。
そういう意味では、そんな変化が起こるきっかけになるような場をつくりひらくことはこれまでも、そしてこれからもやり続けるのだが、なぜかそういう「場をつくる」ことを、望む人に教えようという感じにはならなかった。
それがなぜか2021年の後半、それをやろうというエネルギーがぐ~っと高まってそしてひらいた。
これもやってみると、本当に大切なこと、楽しいこと、好きなこと、意味のあることをやっている感じがすごく強くて、「あ~これほんとやりたいことだ」という氣持ちがどんどん高まっていった。
さて、そんな2021年は、おそらく2022年に向けての土台をつくった年なのかもしれないと今思っている。
どうやら2022年は、自分も、また世の中にある組織(たとえば会社とか学校とか)も、また世の中自体も、大きな変化をする年だと感じている。
もちろん、いろんな考えが混在するだろうから、変化を拒んだり、また私が望ましいと思う変化の方向性とは真逆の変化を誘引する力に出会ったりもするだろうと思うけれど、でもそれも含めて、本当に大きな変化の起こる年だと感じている。
数年前に描いたビジョンフレームに書いたビジョンにある年は2022年だ。そこに書かれたイメージは数年前はほんの兆しのようなものは見えていたが、現実感はまだ乏しかった。
今は加速度的にその状態に近づいている感じがしていて、そしてほんとに2022年はそうなるんだろうなって無理なく思えるところまで来ている。
2022年のことは、また別のブログで書くとしよう。
さて最後に総括的に。あらためて2021年は、ほんとに最悪の年であり、最高の年だった。
これだけ世界に絶望とあほらしさを感じたこともなかったし、同時に希望と面白さを感じたこともなかった。
そして、また今年出会った仲間と呼べる人たちは、本当に素晴らしい人ばかりで大好きだ。
2022年は冒険するにはうってつけの年になるような氣がしている。
冒険の旅の仲間は時に入れ替わるかもしれないが、そこに集うのはいずれにしても素晴らしい仲間しかいない。本当にそれは人生のよろこびであり幸せだ。
そう感じられる今、いい人生を生きているなって感じられている。